あの世を見つけてしまった。


あの世を見つけてしまった。

工場だの、テクノスケープだの、そういった景観も好きだったのだけれど、どちらかというと、町工場や倉庫といったものの方が好きだった。どことなく、原風景となっていたし、錆やトタンといったマテリアルが好きなのだ。

僕が郷愁を感じていた原風景にあったのは「あの世の匂い」で、原風景を感じていたあの場所は「あの世」とのあわいでしかなかったのかもしれない。

工場が好き、とか言っていたけど、全然違ったんだ、、、夢に出てきた光景を見てしまった。


なんとなく、体を動かさないと落ち着かないことがあるので(適度な運動を心掛けようと思って)夜中に、自転車に乗って出掛けた。しばらくふらふらと知らない街を走っていると、不意に人気のないところに出た。川の傍だった。そこで僕はその川にかかっている橋を越えて行こうとした。そこは川口だった。
川口には以前から何度か来ていて、小学生か中学生の頃、荒川土手を遡って行こうとした道と、中学校の終わりか高校の初めごろに、兄と夜中に散歩をした道と、最近、展示を見るために走った道がそれぞれ、具体的な地理関係で結ばれていることに今日気づいた。
今まで走ってきた街中の道と比べると、土手沿いの道はとても走りづらい。歩道が自転車で走りやすい程の幅が無かったり、街灯の数も減って、車道を走る車に気づかれないのではないかという不安も高まった。
自分が今いる地点から、自宅に戻るには、方角は何となくわかるのだが、実際に詳しく知っている道ではない。しかし、方角の勘を頼りに走っていると、右手に工場の多い地区に来た。車道をまっすぐに走っても帰れそうなのだが、方角的には、その工場群の方に行った方がよさそうなので、その道を入って行ったのだ。そここそが「あの世へと通じる道」だった。
その道は、工場地帯で、トラックが大量に停めてある駐車場があったり、左右がプラントで、その上を配管が通るような道で、街灯も少ない。走っていくと、まるで違う世界に迷い込んだようになる。
しばらく行くと、化学工場の付近に出た。化学工場だけあって、周囲は結構な異臭・・・どぶのようなにおいをさせていた。しかも、夜中にも関わらず操業しているようで、不穏な音と、側溝を水がジャブジャブと流れていく音がするのだ。このにおいは嗅いだことがあった。昔、土手を遡った時に嗅いだことがあったのだ。そうか、このにおいか。
僕が工場的なものに郷愁を感じるのは、小学校に上がる前に通っていた地域が、そういう雰囲気のある場所だからだとも思っていた。しかし、そういえば、小学校や中学校の頃にもそういう場所に来ていたのだ。
そう思いながらも、自転車で進んでいく。しばらくして、夢に出てきたような場所に出た。砂利を吐き出すのか、溜めておくのか、大きな扉の付いた箱のような設備だ。僕は“あぁ、ここか・・・”と思った。街中ではずっと写真を撮っていたのだが、そしてこういう景色をこそフレームに収めようと思っていたはずだったのだが、僕はシャッターを切ることをしなかった。
いままで、その香りを求めていたのに、それそのものが現れた気がした。そしてそれは格好いいものでも、郷愁を感じるものでもなく、おぞましく感じられたのだ。
早く帰ろう、と思い、僕は自転車を漕いだ。どういう道を辿ったのかよく思い出せないが、しばらく行ったあと、黄色い大きな清掃車とすれ違った。運転席を覗くと、黄色い回転灯で中の様子は真っ黒く、窺い知れなかった。本当にあそこに人は乗っているのだろうか。あそこに乗っているのは、本当に人だろうか、と僕は思った。清掃車は何かを道に撒いていて、それがなにかおぞましいものの一部なのでは無いかとさえ感じられた。

その清掃車を越した先に、それはあった。余りに巨大な廃鉄置場。それは、おぞましいにおいと相まってか、地獄の門にしか見えなかった。ぼくは「あああぁあ」と声を漏らしていた。体が総毛だった。“ここはあの世だ。原風景は記憶の中だけでなくて、本当にあったんだ。”と僕は思った。それは甘い孤独だったはずが、本当のあの世は、おぞましい場所だったのだ。僕はその「地獄の門」を写真に撮ってすぐに家に帰ろうと思った。アドレナリンが出ている。それだけじゃない。恐怖と神威を感じている。僕は走った。トランスというのはこういう風なのか、と少し思った。ただ興奮するだけじゃない。神がかりとはこういう体感の延長なのか。

写真を撮った時間は丁度日付が変わったその時間だった。
写真を撮った場所から先に行くとすぐに土手が見えた。よし、川をたどれば帰れるはずだ。僕は土手を登った。そこはあまりにも見おぼえがあった。水門だ。さっきまで、川のこちら側なのか、あちら側なのかさえ判然としていなかったのに。僕は自転車を飛ばした。風が強かった。自転車はすぐによく知っている道に入って行った。橋の下の横断歩道を渡って、僕はこの世に戻った。しかし、「あの世」は余りにも近くにあったのだ。僕は郷愁を求めて写真をとり歩いていた。しかしそれは、あの世とのあわいでしかなかったのだ。その郷愁の先がおぞましいものと知らずに。
自転車を飛ばしながら、僕はなんども「はああぁああ」と声を漏らした。家にたどり着き、鍵をかけるとき、その扉の向こうが恐ろしいものに思えた。




あの世 - 隣の誰かと遠くのあなたを