シックスハートプリンセス第2話

TOKYO MXでシックスハートプリンセス第2話を見た。これは30年前のOVAを見せられている気分に近いのではと思った。つまり、類型的な表現を採用する必然性が薄れ、なんとなく型を踏襲していること。演出が拙く整合性の無いこと。一部にはやたら気合の入ったシーンや、レジェンド級のアニメーターがちょろっと参加していること。設定資料が先行して妙に充実し、グッズとして販売されていること。など(ちなみに設定資料集とポスターはもちろんゲットした)。一方でどこに差異があるのかといえば、現場に悲壮感が漂っていることと、「純粋芸術としてのアニメ」を宣言していること。まぁ純粋芸術ならば、それがつまらなければ芸術家の責任である。
村上隆は「オタクに対する勘違い芸」において威力を発揮する作家で、たとえばS.M.P.ko2やHIROPONにおいては「類型性を採用しつつ批評的には突き刺す」仕事をしているが、今回採用されている類型性は単に類型的なだけだ。