画像の演算性の美学

gifの色数が2の倍数であること。ブロックノイズが8×8pixであること。ジャギーが矩形であること。グリッチが水平性を持つこと。プログレッシブjpegが徐々に解像度を上げて表示されること。画像の演算性の美学。

*1


「演算が美しい」と言うならば、普通連想されるのは、コードによって描画されるグラフィックや、あるいは、座標とベクトルという数式で描写されるベクター画像だろう。*2しかしここではラスター画像こそが演算性の引き合いに出されている。
したがって、ここで問題となっている「演算性」は、関数が描画する数学的な美ではなく、矩形の明滅が背後に抱えている原理がかすかにあらわれることの美学なのだ。それは、画像がインターフェースを介して触れることになる、動的な存在であることのあらわれでもある。つまりピュアグリッチや、本当の8bitだけでなく、意図的なグリッチも、8bitライクな表現も、0.5ドット*3であっても、そこに画像の美学はあらわれ得るのだ。


関連 都築潤×中ザワヒデキ「ベクターvsビットマップ」@3331 メモ - 隣の誰かと遠くのあなたを

*1:gnck:ジーエヌシーケイ on Twitter: "gifの色数が2の倍数であること。ブロックノイズが8×8pixであること。ジャギーが矩形であること。グリッチが水平性を持つこと。プログレッシブjpegが徐々に解像度を上げて表示されること。画像の演算性の美学。"

*2:「前田は、今日のコンピューターを使用したデザインが、演算というコンピューター本来の仕組みの理解を放棄し、ソフトウェア操作の組み合わせで終止してしまっていることを批判しました。そしてコンピューターを使ったデザインにおいては、計算やアルゴリズムによってもたらされるビジュアルの美しさこそが、デジタル・デザイナーの本当のスキルである、と主張します。つまり、コンピューターを単なるツールではなく素材と考えた時に、コンピューター本来の数学的な美に立ち戻るべきである、という考え方です。」(CBCNET > Dots & Lines > 土屋 泰洋 > 2. デザイナーズリパブリックからビジュアライジングデータまで。 あるいはコンピューターで絵を描くためのいくつかの方法について。

*3:「自負まんぬ」/「せいまんぬ」のイラスト [pixiv]