webでライ麦畑の捕まえ役をやろうとするということ

ライ麦畑で捕まえて、を読んだときに捕まえ役というのは、かつての自分と同じような境遇に逢わせたくないなーという役割なんだ、と理解したのだけれど。

ウェブという個別具体的に関われない状況で捕まえ役になろうとする人間に、何ができるのか?と考えると、少し疑問がある。
実際の(ウェブや書籍を通してではない)人間関係の上でそういうある種の師弟関係というか、兄弟子と弟弟子みたいな関係というのは結構理解できる。というか先輩後輩か。
実際の関係ならば、例えば実際に後輩が悩んでいる事柄について具体的に知ることができるし、そうなれば、個別具体的な助言も可能だ。一方、匿名的なコミュニケーションというのは、「後輩」の自己申告からしか情報を得ることができないので、お互いの頭の中に勝手に自分が組み上げた(どこか食い違った)物語が展開されることにもなる。

実際の関係というのは、そこに「生きた見本」として参照できる人間がいるのだ。その「生きた見本」と実際に話たり、相談したりする中で得るものは、テキストから得るものと比べると、我々が思うより遥かに異なっているのではないか。そもそも「相談」という経験は、必然的に物事を分析的に見つめなおす機会になる。

無論、誰にも相談できない人間がウェブでなら情報を共有できるというのは、すばらしいことだ。
だけれども、やはり生の個別具体的なコミュニケーションの強み、というのは決して無視できない。ウェブによって生の関わりが希薄化していくからこそ、そこの強みというのは益々注意していかなければ行けないのではないか。

健全に生きたいものだ。


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