インフラをぶちこわす

社会が統計的に扱われ、全てのアーキテクチャがデザインされたものになるにしたがって、一回的な体験に対する飢餓感が増す。

俺なんかは、ネットの最新の動向をひたすら追うのもどうよ、と深くはまらない方がよいかもしれないなぁーなどと思いつつ、適当にやれれば、とも思うのだけれど。
しかし、時折インフラをぶち壊したくなるし、店員さんとマニュアルに無い会話をしたくもなる。

ただ、マニュアルに無い会話もある程度パターンとバリエーションだと分かってしまった瞬間にショックを受けるのかもしれない。

で、そういう話ではなくて、インフラをぶち壊すものとして、地震、というのは最後の砦ともなっていくのかもしれない。
煮詰まらないように、ある程度外部の刺激はあったほうがいい。というのは昔からみんな知っていることだけれど、“外部”が拡大しすぎているように感じられる今、システムの外として振舞えるのは地震くらいなんじゃないのかなーと思ったりする。
あと、鳥インフルエンザパンデミックとか。NHKの特集では最近少なくなった“世界の終わりにドキドキする”終末観が若干滲み出ていたような。(何故か主人公が傍観者的なところも含め。)

だから、災害対策など実はみんなしたくないのだろう。
それこそが残された最後の“祭り”の準備なのだから。

とふかしてみる。