市場原理とハンディキャップ理論
先日12月15日に小谷先生の最終講義「ヒトの行く末とデザインの正体」を聞いた。
実に興味深く面白い講義だった。ちゃんと授業を受けられないのが悔しい。
内容はデザインというものを歴史的に俯瞰し、進化論的な視点を導入したものだった。
その中でも、「バウハウスから始まる、ものを手に入れることで幸せになれるという近代の理念はもう通じないのではないか?作らないことが正義となるのではないか?」ということを美大という場所で言えるのは凄いな、と思った。誰もが気づいているけれどあえて避けて通っている問題を明言してしまえるということは、勇気のいることだろうと思う。(私もそういう勇気ある人になりたい。)
しかし、今回の中で一番関心させられたのが、市場での淘汰をメスの選り好みと「ハンディキャップ」とを関連させて話されていたことである。
今猛烈に進行するグローバリズムというのは、我々の消費がより品質がよく安いものを求めていることをその原動力としている。
その消費者の選択というのは、まさしく進化における性淘汰、メスによる選り好みに当てはめることができる。
企業というのは、「企業倫理」を無視した方が利益が出るならば、すぐさまそちらに行こうとする。
*1
しかし、消費者が「企業倫理」を重視する場合、それがハンディキャップ(鳥の長い尾)となって、結果「企業倫理」が保たれることにつながる。*2
そして我々はその「企業倫理」というハンディキャップを作り出せる立場にあるのだ。
*3
この性淘汰的な状況は、もしかしたら人間を進化の袋小路に追いやる傾向なのかもしれない。
それを避けるためにどういった「ハンディキャップ」がありえるのか?
そこを考える価値は十分にあるだろう。
*4
*5