電子のメディウムは光を介在することで人の目に認識される。(twitterまとめ)

蒸気機関車が、現行の電車の車両よりも圧倒的に魅力的なのは、明らかにそのメカニズムのフェティッシュさゆえだ。蒸気がピストンの動きに変換され、複雑な機構によって車輪が駆動し、鉄の巨躯を疾走させる。その色気はメカニズムのワンダーだ。機構を明示する、仕組みを明らかにすることは、美的条件のひとつだろう。メディウムの明示とは「成り立ちを明らかにすること」に他ならない。目に見えない磁力で動くモーターは、魔法的すぎる。
機械式から電子式へ、というのは、物質的、物理的なメカニズムから、より抽象化されたメカニズムへの移行だ。産業的な可能性は言うまでもないが、機構が抽象化されているがゆえに、電子の世界はブラックボックス的(魔法的)なものになった。*1我々が電子の世界を把握するためには、電子の仕組みを暴く=電子のメディウムを明らかにするものが必要だ。機械へのフェティッシュは物質へのフェティッシュだが、電子へのフェティッシュは、光へのフェティッシュになるだろう。光は「代替的な表示」なのだが、その表示の制御、あるいは制御の崩れ、失敗によって、はじめて間接的に電子の働きを見ることができる。*2その制御(に関わる美的な性質)のことを「演算性」と呼びたいのだ。


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*1:iPhoneで画面の端までスクロールするとバウンドするが、電子機器にはそのような「現実世界のような手ごたえ」を与える余地がまだまだある。

*2:あるいは、光でなくてプリンタでも構わない。刺繍マシンであっても

*3:メディウムを明らかにするというのは、だから、魔法を魔法として(イリュージョンをイリュージョンとして)受け入れられない人間のための作法でもあろう。それは、「安心して魔法にかけられたい」ものへの攻撃でもあるが、魔法が理解できないことへの焦りでもあるのだ。イリュージョンの仕組みを仔細に観察できるものには、あえてメディウムを明らかにする必要はない。メディウムを明らかにすることが鑑賞者へのサービスとなる。筆跡を見せるというのは、手業を見せてやることなのである。