国家としてどのような「芸術」を称揚していくべきか

近代美術というのは、国家の理念であるとか、ナショナリズム、国家の覇権、産業振興などの政策パッケージにおいて初めて機能しています。かつて「日本画」はナショナルペインティングとして、国民国家の装置として必要とされていました。しかし、敗戦後その装置としての機能を奪われ、にもかかわらず、現代まで存続しています。

しかし、国家として芸術をどのように活用、称揚していくべきなのでしょうか。あるいは、国家は介入をすべきではないのでしょうか。現代社会の理念は、この社会をエンパワーするための「芸術」ではないでしょうか?国家が「ハイアート」を称揚することにもはや合理性や理念は無く、すべての人のクリエーションを認め、支援するべき時代ではないでしょうか。そうしなければ、「産業的にも損失になる」。
なぜならば、日本は中流のボリュームが大きい(国民全体の進学率や識字率、収入の比率)ため、「エリート」と「それ以外」に対応する「ハイアート」と「低俗なカルチャー」のような対立がありません。(先進国はやっぱり中流層が大きいけどそれでも)日本における豊かなサブカルチャーの成果は、マーケットとして「良質なカルチャーを欲する人々」が一定の規模がいたことを無視することはできません。
日本美術史は「仏教」「武家」「公家」の文化を正統に据え、工芸、大衆文化を周縁に配置しましたが、今なおその図式を国家が推奨することには合理性はあるのでしょうか。
「全ての人の創造性を擁護する。」そのことを軸に、今一度この国における「芸術」を再定義するべきなのかもしれません。