デジタル・オイル・ペインティング展 メモ

デジタルオイルペインティング展は、油絵描画シミュレータ(OPS)の研究成果の発表展。藤幡正樹をプロジェクトリーダーに東京芸大藤幡研、佐藤研、東大池内研、東工大中島、斉藤研、近畿大岡崎研の共同プロジェクトで、人間の描画行為の基礎的な理論の抽出を目的とした四つの研究のうちの一つ。
詳しくは

http://www.mxa21.jp/j/
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2009/crest/crest_ja.htm

のサイトを参照してください。

1月17日のシンポジウムのメモです。
以下の内容は個人メモであり、主観、聞き間違えなどはご了承ください。

第一部:藤幡正樹 佐藤一郎 斎藤豪

藤幡
今回の研究では、美術の問題だけではなく、コラボレーションをいかに行うのかという問題もある。美術と工学のコラボレーションでは、テクノロジーの成果をアートがデモンストレーションするだけであったり、表現のためのテクノロジーが、あまりに技術力を必要とするか、技術的に既知のもので事足りていたりしては、研究として意味のあるものにならない。

佐藤
かつて「油絵だから油絵具を使わなきゃいけないっていうのは違うよな」と先生から言われ、実際にヨーロッパへ行くと、クレーからカンディンスキーから、木枠からエマルジョンから油絵具まで自分で作っていて、それらを層状に重ねるのが、西洋画の基本だとわかった。

斉藤
香港では水墨画のシミュレーションが既にある。
プロジェクトの目的はシミュレーションで、お絵かきソフトを作ることではない。
ただし、完全再現では無い。完全再現では計算量が爆発してしまうし、現実の画材をこえられない。画家が求める特性、物理法則の抽出を行う。
シミュレータは三次元のデータを持ち、キャンバス、絵の具、変形する筆のデータを持つ。毛の房が変形することで、多様な筆圧分布を作り出す。筆はペンタブレットの6パラメータを使用。絵具については、RGBのアルファブレンディングではなく、スペクトラムで8つのバンドで計算している。12−15バンドのものも作ったが、現在は計算量の関係で、8つのものを使用。また、隠蔽力や着色力などのパラメータを準備。隠蔽力は実際には粒子の大きさに依存しているのだが、シミュレータでは独立したパラメータとして扱うことで、現実に存在しない理想的な絵の具を作り出すことができる。

佐藤
丸筆が実装されてない。
今後、出力をたとえばプリンターで再現するのか。3次元プリンタで再現するのか、など考えられる。絵具は、有害物質で、今ある画材もいつ生産中止になるか分からない。普及の方法も考えないといけない。

藤幡
いまのところ情報量が多くてアンドゥーができない。
配っちゃうとメンテナンスしなきゃいけない。


第二部:藤幡正樹 岡崎乾二郎 建畠晢

藤幡
プロジェクトでは、絵具改良の歴史を追体験してきたといえる。
絵画の完成品でなく、プロセスを見せる方が面白い。
今回の展示では、シミュレータで物質を追求したにも関わらず、展示方法がモニタであるため、光の問題になってしまった。

岡崎
今回プロジェクト2年目くらいで「作品で参加してくれ」と言われた。「チームは用意した。PKを決めてくれ」と言われたようなもの。
出力された作品を用意するのだったら、はじめから本物で描いた方がいい。ここにジレンマがある。研究が成果物の良しあしで判断されてしまう。
今回の研究で重要なことは、新たなパラメータを発見したということ。画像は実はRGBだけではないのだ。ということ。
ホワイトキューブというのは、世の中に存在する無限のパラメータを制限して作品を見せるための空間。「データベース消費」と言われるが、データベースでは実際には無限に存在するパラメータは捨象される。しかし通常作り手が作品を見るときには、どのように作ったかなど、作り手にしか分からないパラメータが存在する。そこまで含めて判断を下している。プロセスを記録することでその部分をパラメータ化できている。
プリントアウトする際にはエマルジョンは普通使わない。無い方が印刷効率がよいから。しかし、実際には質が違うのだ、ということ。
生産技術、情報戦という観点では、今回の研究成果は大きい。生産技術の根幹にかかわる部分で、それまでパラメータとして認識されなかったものがそうだと判明するまで大体20年くらいかかる。その分をリードできた。
アクションペインティングは実際にはスティルイメージだが、「アクション」=プロセスとして鑑賞される、というのが理論史。「実際には止まってんじゃねえか」という突っ込みに対しては、「あんたは物を食べる時にのど元を過ぎるときだけで評価するのか」と反論しているのだけど、その部分の解明になるのではないか。
また、真贋の問題にも使えるのではないか。効果としては同一であるが、生成のプロセスが異なるものを扱える。細かい癖を声紋のようにサンプリングして、アイデンティファイに使用できる。
プロセスを記録できることは、絵を描く上で「事故」=不可逆的な過程が存在することの啓蒙にも使える。
これでようやくディズニーを超えるファンタジアができるのではないか。

建畠
想像の力学の解明に寄与するのでは。実はフォーマルな観察は動くものにも可能。シンメトリーは時間軸には無い。シンメトリーの音符をひいたら、シンメトリーにはならない。スローモーションは、実際に時間の流れが遅くなっている訳ではない(実際に時間の流れが遅くなっていても、人間はそれを感知できない)が、そう感覚される。
このあたりに罠が隠れているのでは。

藤幡
現在は接触がないと絵具がおけない=ドリッピングはできない。
人間は差異が無いと認識できないが、差異があるとかなり細かい部分まで敏感に反応できる。物凄く細かいフィードバックをやっているはず。
認知心理学の人が岡崎を検体にしたいと言ってたよ。
予測できる結果は創造性ではない。これからはどう「事故」を起こしていくのか。

など。


展覧会では、モニタを使用して、リアルタイム描画、同じストロークで別のパレットを用いた作品、画像データを変換した作品などが展示されていました。

今回の展示では、シミュレータで物質を追求したにも関わらず、展示方法がモニタであるため、光の問題になってしまった。


とあるように、モニタを使用して表示する以上、初めからそれを想定した表現=photoshopを駆使して、あらゆる画像を「RGB」として等価に(言ってみれば暴力的に)扱うことが「外部性」となり得ている表現群の方が今は「つよい」。 「解体されるキャラ」で取り上げた「ダミーオイル」*1は、photoshopでシミュレーションすることが面白かった。シミュレータでシミュレーションできるのは当然で、そこが表現の強度にはなり得ない。
フォトショップはブラシを自分で定義できるが、そのカスタマイズ性=hackabilityが「事故」を起こす。その部分をどう作っていくのか。
また、梅ラボの作品は、ウェブ上に存在する画像を集積することが表現の強度になっている。*2

今回、岡崎乾二郎の中では要は「隠しパラメータ」というのがキーワードで、ようは、それに気づいた奴が勝つよ、と。批評家、美術家の黒瀬陽平梅沢和木の作品を「リテラシーを要求する」と指摘していることはこれと同じで、キャラであることや、画像であることがパラメータとして機能している。と言っていいのかな。

ぼくは「リテラシー」が重要だ、と言っているのではなく、「作品が見る側にリテラシーを要求してくる」ような作品が良いと思うのは
それによって「データの秩序」があることが明示されるからであり、鑑賞者がその「要求」の何らかのフックに引っかかって、「ローディング」しようとするからです。
http://twitter.com/kaichoo/status/8073569430
http://twitter.com/kaichoo/status/8073664312

今回は、写真を筆の筆致に置き換えた作品が出品されていたが、「写真を筆で描いたようにするフィルタ」以上になり得ていないように思う。リアルタイムで処理して絵具を流し続ける作品は、、現実に存在しない画材を使用していても、やっぱり「デモンストレーション」であって、それが美しいか?と言われるとちょっと・・・。というかんじ。先に藤幡自身が否定してしまっている。
Photoshopはお絵描きツールではなく、画像処理ツールであるが、「photoshopにできないこと」を提示できなければ意味がない。あと、画像処理ツールだからこそ、反復、反転、自由変形ができるのであって、それを使えば面白いこと/気持ちいいことができるのだ(というか、俺は気持ちいいのだ=作家が読み取ることのできるパラメータ)というのが、「photoshop人間」という言葉で言いたかったことなのであって、お絵かきツールを作られても、ツールとして魅力かというとあんまりなぁ。

研究としては意味があるが、ツールとして、どう貢献できるのだろうか。研究成果のフィードバックは必ずしもOPSを使用した表現である必要は無いのだし(パラメータの問題だから)、ツールとしての拡張性はどうなるのだろう。学校に無料で配ることを条件に研究費をもらっても、研究が変質しかねないだろうしなぁ・・・。SAIは5000円だから、特別お絵かきソフトが高いわけでは無いのだし。
三次元データとレイヤー概念の兼ね合いをどう付けるのか。また、プロセスの記録をどのように表現へとアップデートしていくのか? らへんに面白い提示を期待したい。
やっぱり、出力形態と密接にかかわったツールになると面白いんじゃないか。三次元プリンタと連動した制作ツールであれば、いろいろな創造性を引き出しうるはずだし、人間は細かな差異にはかなり敏感に反応できるといったとおり、モニタで表現した凹凸と、現実の凹凸も区別できてしまうのだから、そこの対応は必要。*3

あと、スティルとムービーの違いが実は形而上的あるいは、認知心理学的なものである。という指摘もかなりやれるテーマだろう。デジカメの普及でますますその差の曖昧化に拍車がかかっているような気もするし、想像的力学なんてマンガじゃ当たり前の話だし、JNTはインタビューで「静止画ではなく、動画としてのクオリティを上げて絵を描いている」と発言していて、その点も既に作家は挑戦している領域だ。

今年中にまた展示があり、そこで岡崎乾二郎も作品を出品するそうなので、期待して待ちたい。(敬称略)

*1:http://rakgadjet.fullmecha.com/oldovertechnology.html

*2:http://umelabo.info/works/014neox/000.html

*3:液晶を数段階重ねるというアイデアを言っている人もいた。