平成20年1月の中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について(答申)」を読む。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1216828_1424.html
授業で配られたために初めて目にしたのだけれど、物凄くよくまとまっていると同時に問題点も明瞭だと思ったので一杯引用してみる。

  • 社会の変化とそれに対応する能力

○今後社会は「変化が激しく、新しい未知の課題に試行錯誤しながらも対応することが求められる複雑で難しい時代」である「知識基盤社会」となる。
その「知識基盤社会」で必要とされる能力が「生きる力」と呼称される。

○「生きる力」とは、「「ゆとり」「詰め込み」の二項対立ではなく」、「基礎的・基本的な知識・技能の習得とこれらを活用する思考力・判断力・表現力等をいわば車の両輪として相互に関連させ」る能力のことである。

○教育の目的は、「社会において自立的に生きるために必要とされる」「生きる力」を育むことであり「これからの学校は、進学や就職について子どもたちの希望を成就させるだけではその責任を果たしたことにはならない」(!)。

  • 子供の現状

○学習面については「我が国の子どもたちの学力は、全体としては国際的に上位にあるものの」「・読解力や記述式問題に課題があること」「・PISA調査の読解力の習熟度レベル別の生徒の割合において、」「成績中位層が減り、低位層が増加している」。

○精神の面においては「学級崩壊などに見られるような自制心や規範意識の希薄化」「いじめやいじめによる子どもの自殺」の問題。また、「自分に自信がある子どもが」「少ない。」「学習や将来の生活に対して無気力であったり、不安を感じたりしている子どもが増加するとともに、友達や仲間のことで悩む子どもが増えるなど 人間関係の形成が困難かつ不得手になっている」。

○身体の面においては「体力水準が全体として低下して」おり、ここでもまた「積極的に運動している子どもとそうでない子どもに分散が拡大している」。

  • 教育の現状

○「生きる力」を育てる教育の普及についての5つの課題
1.「「生きる力」がなぜ必要か、「生きる力」とは何か、ということについて、文部科学省」「による趣旨の周知・徹底が必ずしも十分ではなかった」こと。
2.教えて考えさせる指導が必要にも関わらず、教えずに考えさせる指導形態をとった場合があったこと。
3.各教科と総合的な学習の時間の役割分担・連携が十分に図れていないこと。
4.「必修教科の授業時数は十分ではない」こと(!)
5.「家庭や地域の教育力が低下」したこと。改善のためには「学校教育」が「道徳教育や体育に関する指導を充実させ」(!)家庭や地域と新たな連携を築かなければいけない。

○「教育の一義的な責任は家庭にある」が「これまで家庭や地域において自然に確保されていた」特に心身に対して教育的効果のある異年齢者との関わりや自然体験の減少や、生活習慣の確立が難しくなっている。

○「生きる力」即ち、基礎的な能力と応用力や、「他者や社会と向き合うことの確かな手ごたえを感じ」させ、自己肯定感や人間関係を築く能力を育むためには「きめの細かい指導が必要」となってくる。そのためにはこれまで以上に「時間の確保」が必要となる。

○小・中学校教諭の平均残業時間がひと月当たり34時間で、増加傾向にあるが、「子どもたちの指導に直接かかわる業務以外の」業務に多くの時間が割かれている。

  • 教育を改善していくために

○基礎的な知識・技能は反復によって習得する。特に社会生活上必要と思われる知識、例えば四則演算や人体についての基礎的な理解などを「重点指導事項」とし、躓きを取り除き重点的に反復する。

○思考力・判断力・表現力については、観察・実験やレポートの作成、論述などを各教科で取り入れ、各教科の基礎的な知識を活用する時間を増やす。それらを出発点とし、総合的な学習の時間で課題解決的な学習を行う。また基礎的な知識と応用的な能力は、課題解決的を進める中で知識や技能の習得を促進するなど、相互に関連している。

○確かな学力を確立するためには授業時数が足りていない。増やす必要がある。

○学習意欲については学習習慣の確立、習熟度別・少人数学級などのきめ細かな指導、学ぶ意義の認識、学力調査で把握された課題を抱えた学校への支援などが必要である。それらの改善計画については都道府県単位での取組、それらに対する国の支援が重要である。


○心身の発達については
1.「自分に自信がもてず、将来や人間関係に不安を感じているといった子どもたちの現状を踏まえ」「コミュニケーションや感性・情緒の基盤である」「国語をはじめとする言語の能力が重要である。」「また、親や教師以外の地域の大人や異年齢の子どもたちとの交流、自然の中での集団宿泊活動や職場体験活動、奉仕体験活動などの体験活動は、他者、社会、自然・環境との直接的なかかわりという点で極めて重要である。」「体験活動の実施については、家庭や地域の果たす役割が大きく、学校ですべてを提供することはできないが、」「きっかけづくりとしての体験活動を充実する必要がある。」「体験したことを、自己と対話しながら、文章で表現し、伝え合う中で他者と体験を共有し広い認識につながることを重視する必要がある。」「自分に自信をもたせることは、決して自分への過信や自分勝手を許容するものではない。現実から逃避したり、今の自分さえよければ良いといった「閉じた個」ではなく、自己と対話を重ね自分自身を深めつつ、他者、社会、自然・環境とのかかわりの中で生きるという自制を伴った「開かれた個」が重要である。他者、社会、自然・環境と共に生きているという実感や達成感が自信の源となる。」

2.人格の形成については「道徳教育の充実・改善である。子どもたちに、基本的な生活習慣を確立させるとともに、社会生活を送る上で人間としてもつべき最低限の規範意識を、発達の段階に応じた指導や体験を通して、確実に身に付けさせることが重要である。その際、人間としての尊厳、自他の生命の尊重や倫理観などの道徳性を養い、それを基盤として、民主主義社会における法やルールの意義やそれらを遵守することの意味を理解し、主体的に判断し、適切に行動できる人間を育てることが大切である。このような観点から、道徳教育の充実・改善が必要である。」

3.「体力の向上など健やかな心身の育成についての指導の充実」のために、「運動を通じて体力を養うとともに、望ましい食習慣など健康的な生活習慣を形成することが必要である。」また「心身の成長発達についての正しい知識を習得し、実践的な判断力や行動を選択する力を養うとともに、食育の充実が必要である。さらに、子どもの生活の安全・安心に対する懸念が広まっていることから、安全教育の充実も必要である。」


  • 答申を読んで

とりあえず、簡単なまとめです。最後の方ほとんど引用で済ませてしまったけど、これは道徳教育についての解釈について結構重要そうなのでまるっと引用しました。とにかく、現状分析を見れば、様々なところで語られる問題点が明らかにされています。「中位層の減少」「家庭、地域の教育力の低下」「きめ細かな指導が求められる」にも関わらずの「学習時間の足りなさ」「人格上の問題」そして「思考・判断・表現する力」の不足。教育行政は問題を完全に把握している。
しかし、それに対する対応があんまりです。「習熟度別」「少人数」「家庭、地域の教育の代行」「道徳教育」「生活習慣、学習習慣の確立」。いくら「子どもたちの希望通りの進路を選ばせればOK」ではないからといってこれでは「学校がすべてを請け負う」形になってしまいます。それをやるための人員は?時間は?予算は?また、学校が「道徳教育」までやることに家庭・地域は黙っていていいのでしょうか?
この答申はどう見ても「平等で高度な教育」を目指しています。すなわち公教育を受ける全員が「知識基盤社会」をサバイブしていける「生きる力」を身につけた人物になるようなプログラムです。(「生きる力」の中には基礎力、応用力だけでなく、意欲や体力、道徳まで含まれているのです。「生きる力」は「知識基盤社会」に必要な能力の総体なんですもの。)しかし、その負担は現場努力によってのみ支えられているのでは?また、それらの諸能力はトップダウンで官からの司令を受ける、という形で育てることが可能な類のものなのか。
そして何よりも全員が「知識基盤社会」をサバイブできる人間になることが果たして幸せなのだろうか?中位層の減少はもはや「フツー」がありえないということを示しているのではないでしょうか。当然、機会均等で、親の収入によって学習機会が奪われる事態は避けるべきですが、ここまで非正規雇用が広がり、大学全入時代と言われる状況で、高等教育を受けた人間が年収200万円を受け取るという事態をどう考えるのか。(これはもう、「年収200万でも幸せになれる社会」を構築するほかないのではないか。)

能力の育成、人格の完成、そして体力の育成や様々な経験、それらをたった一つの学校という機関が請け負うためには、あまりにも巨大で融通の利かない組織が必要です。そんなコストがかかる体制を目指すべきではないはずです。文科省はこれを過渡的なものと位置づけているのかもしれませんが、教育にさらにお金をかけるようになるとも、家庭や地域社会を豊かにする策を打ち出せているとも思えません。

こんなにも的確に現状を分析できているなら、当然この方針の問題も分かっているはずです。「生きる力」の理解のためには「社会の変化」を周知徹底する必要があります。しかし、そのようなコミュニケーションを、議員や官僚は十分に行えているのでしょうか。また、文部科学省以外で、シンクタンクとして提言を行っている機関ってあるのでしょうか。

教育に、この国に、(そして美術教員に)未来はあるのでしょうか・・・・。


まとめ:前提を含め、一から十まで全部教えるのなんて現状じゃ無理。それをやる相手を厳選するか、大量のリソースを教育にぶち込んで、「汎教育」的状況を作るほかない。でもそれって現実的じゃないよね。



関連?:必要とされる美術教育 - 隣の誰かと遠くのあなたを