なんか、ネットで解決しようということの限界と不毛さを感じるここ最近

“勇気信者”と“反勇気信者”というコインの裏表 - シロクマの屑籠

非モテ云々が持ち出されたのって、現実のコミュニケーションで承認を得づらかった人らがネットやってもやっぱり満たされないということに気づいた、ということなんだと思うのだけど、特にコミュニケーションの問題って、コミュニティーの質を抜きにしては考えられないはずなのに、ウェブ上ではそういた個別具体性を論じずに本人の問題とか、非モテ非コミュスイーツ(笑)だといったラベリングをすることでしか話が通じない時点で既に「アドバイス」としては余りに頼りないものに成らざるを得ないのではないかなー、と思う。
恐らく「勇気」と言うワードも、人生行路を、切符や地図だけ見つめて旅する人達 - シロクマの屑籠ら辺の、失敗を過剰に忌避するメンタリティーだと、色々困ることがあるよねぇ、ということに対しての、失敗を恐れないマインドが必要だろ、ということがスタートにも関わらず、具体的な状況とか、失敗しても許容される失敗の仕方とかの助言ができないために「勇気」という抽象的な言葉と化してしまうのではないのか?(と勝手な推論なんですけど・・・。)
id:p_shirokumaさんの仕事として、汎用適応技術研究あるいは、適応の技術と技法は、そこら辺の限界を承知しつつ、なるべく妥当なアドバイスとして積み重ねていこうとする態度に溢れている。
(反面、屑籠での例えば目撃!中年サークルクラッシュ臨界状態!? - シロクマの屑籠のようなエントリーもあるのだけど。)