必要とされる美術教育

価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習
大学院の教授がクソだと言われる一つの理由

最近私は、指導要領の改定を受け、美術での鑑賞教育が更に強化されることを受けての、授業開発のお手伝いをしています。その中で、私が特に本質であると考え、心がけていることが、「自分自身の感性を発見する」ということです。*1

芸術作品、特に絵画や彫刻といった所謂ファインアートのジャンルにおいて、その作品の解釈に正解はありません。*2作品を見て、どう感じたのか?何に注目したのか?それを生徒に問いかけ、何かしらの解答を提示させることで、自分と他の生徒では注目の仕方や、好みの作品が異なり、その理由も様々であるということを発見していく。更には、自分が何故そのように感じるのかを言語化し、他者にも共有可能なものにしていく。

作品から感じられるものは、多種多様です。その作品が持つパワーや、味わい。歴史的な文脈から、何か崇高なものを感じるかもしれません。あるいは、昨日サンマを食べたから、作品のサンマに興味が行くのかもしれない。それらは、私たち一人一人が持つ経験によって育まれた「感性」に左右されるものです。感性とは、どうしようもなく、他のあり様ではなく「そう」体感してしまう、ということです。これが即ち背骨ということではないでしょうか?そういった背骨も、経験と、自身の背骨を確認し、確信/修正していくプロセスを必要としていて、美術教育はその一環になり得る。

鑑賞と表現は渾然一体です。作者は作品(化していくなにものか)の第一の鑑賞者です。鑑賞は、ただ呆然と見ることではありません。作品からなにがしかを感じ(感じるためにも様々な経験や訓練や文脈を必要とします)、それを言語化することで、「何故私はそう感じるのか」という問いかけをするということです。当然、感性の違う人にも、どうにか説得力のある表現を考えなければいけません。価値観は対立し得ます。故にその調停の方法も模索されなければいけません*3

制作や、言語化とは「私の感性」をいかに共有可能なものにするか?という作業であると言えます。(なんだか研究と近づいてきた気がしませんか?)個々人で異なる「私の感性」を発見し、それを共有可能にしていく営為。*4これこそが、今日の芸術の、根底にあるものではないのでしょうか?*5

芸術こそが、人間の根底に作用する、というのは、こういう意味ではないでしょうか。こんな中美術の時間を選択にしちまえとか、ふざけるなよ、という話で。*6

追記

あ、タイトルで、何故美術教育が必要とされるかって、初等、中等教育の段階で、そういった訓練をしておかないと、何の目的意識もなく大学に行く人が増えてしまうのでは?ということ。

追記2

表現者という言い方をした理由 - 発声練習
2009-02-23

どうやら、芸術表現と論文の違いがあるんじゃね?というのが割とあるみたいんですが、制作においても、作者は必ず説得力を生み出す必要にかられます。そして、その説得力を付随する方法にも様々に研究開発されてきた「型」がある。*7表現を説得的なものにするための諸々の手続きが必要である、という部分では芸術表現と変わりない、と思います。*8

いや、うーん、違うな。だんだんぶれているけど、いいや。書いてしまうけれど、ことの発端のエントリーでは、「自己肯定できない若者たち」とでも題して新書で発売されそうな現代の若者のある種の振る舞いに対して、「クリエイティブ」なことに必要とされる、正解のない事柄に向かっていく姿勢の欠如、失敗の忌避なんかを、どうにかこうにかしようとして、でもできなかった、というエントリーだった訳なんだろう。そして、それがはてなブックマーク上で、「俺のことか」という人が出てくるくらいには、ある程度一般的な傾向であった。
で、ある種嫌悪感を催させたのは、論文なんか自己表現じゃねえ!という感覚か?(ここら辺あやしい)つまり、自分の問題意識を向けるようなことは、もっともっと別のところにあって、単位とるためにやってんだよ。的な。あとは、結局できなくてブログで書くのはどうよ、といった意見もあったが、それは、できないことは色々あるだろうよというか。自己肯定感の醸造や、価値判断の基準を人に説明できるような訓練をするのは、大学に入る前とか、卒論に取り組む前段階でやっておくべきことなんだろう、というか。そこでババーンと出てくるのが美術教育というか。じゃじゃーんというか。


関連:鑑賞教育と感性と自分探し - 隣の誰かと遠くのあなたを

*1:文部省的にはどうなんでしょ。

*2:デザインだと少し鑑賞の作法は異なる

*3:ここのところまでは、鑑賞の授業開発では至っていませんが。また、何かを決定する際や、道徳の問題には如実に対立が生まれる。対立の回避ではなく調停の技術が必要。

*4:これこそ民主主義、ですかね。俺は民主主義者だったのか。

*5:と私は考えております。間違っていたらごめんなさいですよ。

*6:当然、美術教育であっても、作品を作って、ハイ終わりではいけない。ただ、経験したことのないことを経験させるというだけで有意義なのかなぁ、と思えるような状況なのは悲しい。

*7:絵画における遠近法など。

*8:当然、それらの作業が楽しいかどうかは別問題ですけど、芸術表現だって、それなりに「だるい」要素だって含んでいるのだと言いたい。これは変な意地を張っているんだと思いますけど。