鈴木謙介 サブカル・ニッポンの新自由主義 読解

図書館でリクエストしといたのが届いたので。(それにしても凄いタイトル)
他にも小室直樹の論理の方法ほか2008-08-01関連の本を読んでます。
要は日本近現代史

さて、著者の鈴木謙介は、76年生まれ(ちょうど一回り上だね・・・)の社会学者で、podcastTBSラジオ「文科系トークラジオLife」のメインパーソナリティ(最近iPod復活とともに聴き始めました/しかしiPodはこの間うんともすんとも言わなくなりました・・・・)。

まず鈴木は、現在の(いわゆるロスジェネあたりで言われる)既得権(おもに団塊の世代/正社員)批判のロジックが、批判者に帰ってくることで批判が十分に機能しない可能性を指摘する。そのロジックとは、「既得権にあるものは、本来の能力以上の利益を得ていて、そのために我々は被害を被っている。だから既得権を解放し、その利益を我々によこせ」というもの。つまり「能力主義が貫徹されていない」というロジックだ。しかし、これは逆に、自己責任論として、「非正規雇用の人物は能力不足だからその地位に甘んじているのだ」という結論を導きうるという。

では具体的にはどのような政策がありうるのか?これについては鈴木は意見を述べない。(これはある種の逃げFreezing Pointにおける当事者性の欠如のようにも思える。)そうではなく、「批判が、いつの間にか相手と同じ土俵に乗っかている」ことはどういうことなのか?を分析しようという。

ここで鈴木は「ネット右翼/ナショナリズム」や「ホワイトバンド批判」を例に取り上げて「政治のサブカル化」を言うのだが、ここら辺がさっぱり分からないです。

ナショナリズム批判であった左派の議論が次第に「よいナショナリズムとは何か」にいつのまにかすり替わった、という。(むしろ小室直樹の言うように、「国家とは作為である」ということへの無理解こそがナショナリズムについて回る問題だと思うけども。論点はそこではない?)

何故このようなことが起こるのか?それは、批判の根源にあるものが「かつてあった安定」と「実力が試されることの不安定」であり、既得権に向けて「かつてあった安定」をよこせ、という主張であるからだ、という。(ここら辺のリクツもよく分からない。)現在、非正規雇用であるということは将来的な経済的不安定=結婚、出産が困難になる という事態につながっているという。つまり「正社員」=「一人前」という価値に常に曝されているのだという。

(第一章第二節に続く。)