リアルのゆくえ 雑感

東浩紀大塚英志の対談集、リアルのゆくえ 読み終わった。大塚英志の話を初めて読んだけど、とても説得的で驚かされる。一方で、東浩紀との話の噛み合ってなさがすごい。対談する気が無いとしか思えない。途中で辞めればいいのに、って場面が一杯ある。

他者との対話の中でしか公共性はあり得ないと思っている大塚に対して、東はコストがかかるからといって対話を拒否している。対話しなくてもうまーく公共性が作れないかと言っている。議論(対話)しなくても公共性が生み出せないかと言っても、まずそれをやるには、議論による合意の形成が必要で、東の態度はちょっと無いんじゃないかと思うけど・・・。一方で、対話したくない。対話せよ、という命題に対する反発がある、というのは理解できないわけではない。他方、大塚英志のいらだちは感覚として分かる。読んでてイライラするもの。

で、波状言論の号外の、東の公演を読むと分かりやすくなるのだけど、東と大塚の公共性の定義の認識が違っていて、言論の場としての「公共圏」と、公共財を中心とした「公共性」があって、財を中心とした公共性しか残らないのだと、東は言っている。この二分は分かりやすい。ただ、大塚英志がただ言論の「公共性」だけを問題にしているかどうかは疑問が残るし、何故その分かりやすい区分をその場で東が言えなかったんだ?といことも疑問だ。その二つの定義を明らかにするために対話しなければいけないんじゃないの?と大塚は言っているのに、そのコミュニケーションを東は拒否してる。

あと、「○○ということを考えたいと思ってる」と言ってるけど具体的に何やってるのかなー?というのもよく分からない。それは今後なのかも。対照的に大塚英志のスタンスについては誠実さを感じた。けど、別に仕事をきちんと追ってるわけではないから、本当に誠実なのかは分からないけど。ただ、大塚英志の、薄っぺらなロールモデルしか提供できなかった、というような感触と、それに対してあがこうとしている姿勢は評価したい。東はそれはアーキテクチャがやってくれるように「するしかない」という。やってくれるように「しようぜ」とは言わないんだよな。なんなの?(「言われる筋合いはない」とか思われそう。)

論そのものよりも、東の態度がどこから来るのかが気になった。上の世代への絶望なのか、言論の無力さなのか。分からん。