人の幸せ

佐藤優が、「国益」のための狡賢さが足りない、というような話をしていた。
人の幸せとは何か?を考えるときに、「国益」というのは、結構すっきりと納得しやすい目標だ。(実態はどうあれ。)
例えば、「お金儲け」のためのずる賢さが足りない、と言われても、普通は、なんとなく悪いような気がしてしまう。
「自分のため」に「他人を不幸に」してもよい、という考えに、人は結構納得しづらいのではないか。
むしろ「国益」といったような、「仲間のため」に「仲間でないもの」を切り捨てることの方が多く採用されている戦略のように思う。



日本人が幸せに暮らすために、イラクが混乱しようとも、米軍を支持しよう、とかいうのは、どっちなんだろう。まぁ、これは、そういう単純な因果関係とも言い切れないのかもしれない。

例えば、「生活が苦しくならないけど、よその戦争で人が死ぬ」のと「よその戦争で人が死ぬのを食い止められるけれど、生活が苦しくなる」のとを提示されたら、我々はどちらを選ぶのだろうか。
現実は、そんな選択肢すら提示し得ない政治ばかりだ。(まぁ、上の二つの選択肢が妥当かどうか、というのも良く分からない。国益、という物差しで、一時的に生活が苦しくなるけれど、戦争を止めることにメリットがあるから、という判断を下すこともありうるが・・・。まぁ、ここでは価値観の対立であって、トレードオフである、ということにしておく。*1
それを可視化すべきだろう?
自分の選択がまわりまわって誰を殺すのか。
それが見える世界が求められてるんじゃないのか。
それが見えないから気持ち悪いんじゃないのか。


あぁ、やだなぁ。
少し泣く。*2

*1:あー。でもトレードオフというのも実は疑ってかかる余地があるのか。果たして本当にトレードオフなのか?

*2:少し泣く - Google 検索