キングゲイナー

キングゲイナーの第1話がとても好きだ。ゲイナーが巻き込まれるところが好きだ。ゲインについていくところが好きだ。お祭りの夜にエクソダスが始まって、ゲイナーは初めての戦闘でゲロっちゃうところなんかもいい。
オーバーマンですよ。人超えてるんですよ。

と、思ってオーバーマン キングゲイナー1話を見返していたのだけど、そういえば、監督の富野御大が「映画のカミーユは健やかだ」と言っていたことを思い出した。
ゼータをもう一度作れたのはキングゲイナーがあったからだというようなことを言っていたけれど、「健やかさ」って「健全」ってことじゃないか。こんなところに転がっているとは。
「健全性」の正体は分からないけれども、やっぱりそこに戻っていくのかな、ということを思う。

しかしながら、両親を殺されて復讐に燃えないところがよいところなのか、老いたところなのか。
引きこもっていたゲイナーと両親を殺してテロリストになったガンダム00の刹那の交点というのは、一体どこにあるのだろう。