何故自炊は心地よいのか

最近、居酒屋でバイトをしたり、自分で料理をする、ということをぼちぼちするようになって、自分で料理をすることの楽しさ、というか「心地よさ」を知った。
この正体はなんだろう、と考えると、プロセスを自分で把握していることの心地よさだと思う。

ザ・メイキングという番組がケーブルテレビでやっている。
毎回、工場の生産ラインを写して、ものがどのようにできていくかをただ追っていくという恐ろしく簡素な番組なのだけれど、実に面白い。
普段私たちが使っているもの、食べているものがどのようにして作られているのか。
そのプロセスを見ることができるからだ。
普通、店頭においてある商品はその製造、流通のプロセスは伏せられている。
社会のインフラというものは、プロセスそのもののことである。
たとえば、ゴミの回収。電力。ガス。

しかし、私たちの社会は複雑化しすぎており、そのプロセスを追うことは容易ではない。
昔ならば、野菜は近所の畑で取れたものだったし、魚は山を下りた港町のものだった。
だが、今使っている携帯電話が果たしてどこで作られたのか、なんとなくは知っているものの、具体的にどう作られているかは知らない。
さらには、今食べている牛肉がどこで育ち、どう屠殺され、どう解体され、どこで冷凍されて、パッケージされてスーパーに並んでいるのか、知ろうとしなければ、知ることが無い。
それゆえ、昨今の食品偽装等の問題のメディアの盛り上がり(あえてメディアの、としておく。世間はそんなに気にしているか?)に見られるように、インフラの不透明性があがり、不安が増大している。
そのため、不透明性を打ち消すために、生活のしつらえを自分で行う行為が、心地よさを生むのだろう。

ところで、不安に駆られたからといって、「国が何とかしてくれ」と言うのは、問題解決に近いのだろうか。そうは思えない。
不安ならば、まず、自分の目で確かめてみればいい。
社会科見学にいくのだ。
しかし、時間がない。というのだろうか。
そういった問題は、そもそも、複雑化したインフラに問題があるのだと、すれば、それはどうしていけばいいのだろうか。
そこを考えずに、「なんとかしてくれ」ではあまりにも無責任だろう。
対案なき批判ではどうしようもない。