mixiより転載

一時期、中学生の頃は毎日日記をつけていて、その頃の日記とか読み返すと中々面白いんだけども。

中学生の頃なんて大学生とかさっぱり想像できなかったし、最近、20になるのを前に何もやっていない自分に愕然としたり。 人生の紆余曲折を意味もなく振り返ったり。
はたちってどんな気分なんだろうか。

って、聞いてもきっとなんとも説明しづらい気分なんだろうけど。
学生のままだし。まだ親の脛はかじるし。

ただ、最近、あの頃の感性を無くしていて、それがいいことなのか、悪いことなのか、というのが判断つかない。
昔より色んな物が分かるようになって、でも昔より熱中しているものは減ったような。
あのころの憤りを維持するべきか、それともそんなものは下らない(常軌を逸した)憤りなのか。

結局俺は何がしたいのか、と言えば。
健全に生きたいというのは、半ば達成されているようで、
でもそれがよいことか悪いことか判断しかねているのかもしれず。
多くの人に健全に生きて欲しいと思うのは、おせっかいか、奢りか。
「正しさ」を希求していたいと思うし。
この世界がどうなっているのか知りたいとは思うし。
「世界を救いたい」のかもしれないし。(阿呆みたいだなぁ)
そんなもんに熱中してるのかよ、と思われるのが怖いのかもしれないし。
本当に熱中している人ほど好きでないのが後ろめたいのかもしれないし。

考えるべきことは、
世界に意味を求めずには生きられない質なのか、
ということと、
じゃあどうするべきか、
ということのような気がする。
つまり、
世界の色の豊かさを享受できれば生きていけるのだとすれば、
どうやってそれを得るか。
享受できないのだとすれば、
意味を求めずにいられないのなら、
それによって、身を滅ぼすことなく(世界は無意味だから死んでしまおう/壊してしまおう/何をしたって意味無いや)
むしろ意味が無い世であるからこそ、
楽しもうという姿勢でいくとか。
あがいてみせること自体に救われるのか。

ただ、無意味さに絶望している人は視野が狭いとは思う。
歴史を知り、この世界の始まりから終わりまでと端から端まで(ないけど)を想像すれば、それで救われると思うのだけど。

ま、こういうことを下らないなーと思う人にはまったく必要の無い話。